天台宗中台寺樹木葬墓




住職のあいさつて伊勢崎市の樹木葬墓
住職:須藤晃俊 この度は中台寺のホームページを訪問してくださり、誠にありがとうございます。
 最近、お墓を求める人たちの気持ちには、大きな変化が生じています。家族構成や経済面を考慮して、通常の墓地を建立する人が減って来ました。代わりに、樹木葬墓に代表される小さなお墓や永代供養墓が選ばれています。
 現在、中台寺では全11区画の樹木葬墓、永代供養墓、小さなお墓を用意しています。
 中台寺で樹木葬墓と呼んでいるものは、埋葬された遺骨が、そのままの状態で永代供養されるお墓のことです。
 この樹木葬墓は、他所よりも経費的には安く、また永代供養も寺が保証しているのですが、見学に訪れた人の中には、もっと安価なものを求める人たちがいました。
 そこで、中台寺では、令和6年6月に、従来の樹木葬墓よりもお安く利用できる「小さなお墓」を4区画用意しました。
 小さなお墓では、埋葬された遺骨は、その墓地に埋葬したまま永代供養することはできません。
 最後に埋葬された尊霊の23回忌、あるいは33回忌等が経過すると、遺骨は中台寺の永代供養塔に移され、そこで永代供養されます。
 しかし、そのことによって、「小さなお墓」では、従来型の樹木葬墓に比べ、2尊霊用で12万円、3尊霊用で16万円程度お安くすることができます。
 小さなお墓「聖観音」と「合掌地蔵」では、遺骨は骨壺のまま埋葬することができます。小さなお墓「聖観音」を購入した家は、中台寺の檀家になっていただき、護持会費年3千円を支払っていただきますが、このお墓に埋葬された尊霊の永代供養料は、免除されます。
 小さなお墓「半跏思惟弥勒」の弥勒菩薩蔵は、私のお気に入りです。本体の石は鞍馬天狗で有名な鞍馬山から採れた鞍馬石です。半跏思惟弥勒は、奈良中宮寺の弥勒菩薩像をイメージして彫刻されました。
 小さなお墓「舟型地蔵C」は2尊霊用のお墓として用意されました。
 中台寺の樹木葬墓、小さなお墓の墓地代は10万円から30万円です (すべて税込み)。
 中台寺の永代供養塔は、初めから合祀埋葬を希望する方のために用意されました。
 この永代供養塔に埋葬される尊霊の永代供養料は、7万円〜となっております。
 沢山の種類のお墓を用意しました。
 どうぞ、お気軽に見学してください。

 
 中台寺はJR伊勢崎駅南口から徒歩で約4分。駐車スペースは30台。皆さんに喜んでいただけるようなお墓を整えました。見学、相談はお気軽に。


 中台寺は寛元2年(1244)に開かれました。場所は今の地ではなく、昭和町の天増寺の近くの田の中といわれています。それが慶長6年(1601)に今の地に移りました。中台寺にあった大日堂は天長年中(824-834)に建てられたといわれていますが、昭和年代の大日堂は、宝暦6年(1756)に建てられたものです。
 鐘撞堂は、享保12年(1727)8月に、時の領主酒井信濃守忠告によって建てられたものです。江戸時代を通じて町民にとっては、時刻を知る大切な鐘撞堂でした。お堂の管理を命じられた中台寺には、毎月、銭500文の他、夏は単衣代500文、冬は布子(綿入)代として700文と麦5俵が支給されました。鐘撞堂の鐘は大正4年、大正天皇の即位記念として北小学校前の鐘楼に移されました。(詳細は、創説『旧時報鐘楼物語』参照
 中台寺は伊勢崎陣屋の鬼門よけの寺といわれ、正徳年中(1711-1716)、前橋天川より勧請した午頭天王をまつり、本町、新町、西町の三町(当時はこのくらいの町だった)で行う祇園祭は中台寺によって、とり行われました。
 中台寺の縁日は二十三夜様といって、これは毎月23日の夜の祭りで、同心町通りにまで露店が出るほどの賑やかさであったそうです。慶応から明治にかけての画家、飯島石舟の描いたとされる伊勢崎八景の一つに「中台寺晩鐘」があります。 昭和20年8月の空襲で庫裏も鐘楼門もすべて焼失しました。
 中台寺には、「狸伝説」があります。


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住所 〒372-0048 群馬県伊勢崎市大手町 5-24




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 ● Google Mapsに投稿された中台寺の画像

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